mamma mia project

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mamma mia project
〒520-3305
滋賀県甲賀市甲南町野川835
Tel,Fax 0748−86−1552
info@mammamia-project.jp
pâtisserie MiA
Open / 11:00−17:00
Cafe / 12:00− (L.O. 16:30)
Closed / 月・火
gallery-mamma mia
Open / 11:00−17:00
Closed / 月・火

現在、木工仕事の傍ら通信制の大学(京都造形芸術大学)に在籍していて、夜中や早朝にちょこちょこレポートを書いています。最短2年で卒業できるのですが、まあ、仕事に支障が出ない程度にボチボチ楽しみながら続けていこうと思います。 以下は「住んでいる地域の自慢出来ること」というテーマで書いた小論文。里山について書きました。 「里山感覚」 丘の上にある自宅のデスクからは里山の風景が広がる。よく手入れされた田んぼと杉林。その間の緩やかな斜面には蔵を備えた日本家屋がひしめくように集落を形成している。遠くかすむ先には鈴鹿山系が臨め、ここへ越した頃に植えたウメやサツキなどの小低木と合わせた近景から遠景に至る風景は一幅の山水画のようである。大阪育ちで東京の大学に通った私がここ滋賀県甲賀の里山に住むようになって14年になるが、この眺めを見るたび嬉しく誇らしい気持ちになる。一体、この里山の心地よさとは何ゆえだろうか。  ここ数年、仕事で東京などに行くと公園やカフェにやたらと足が向く。里山へ来る前、都会に住んでいる頃にはそのようなことはなかったので不思議だったが、ある時気づいた。里山にいるときは、五感を全て解放していられるのだ。ところが、その感覚のまま都会へ入っていくと受け取る情報が多すぎて、疲れてしまう。つまり、都会に住んでいた頃は感受性の回路を一部切ることで、周りとの折り合いをつけていたのだった。  里山と公園は自然に人間が手を加えることで成立しているという意味では似ている。ただ、公園で人は一方的な受け手であるのに対し、里山は住人自らが田を耕し、山の手入れをすることで維持されている。受け手であると同時に担い手でもある。実際私も小さな菜園を作り、家周りや河川の土手の草刈りをしている。野花や山菜を採りに行ったりもする。そうして暮らしの中で自然と関わるうちに五感が解放され、自分の中に里山と繋がる感受性の回路が徐々に出来上がっていったのではないか。これは公園からでは得難い感覚であるように思う。  ちょうど今の時期は水の張られた田んぼで、蛙が一斉に鳴き始める。ここに越してきたばかりの頃はうるさくて仕方なかったが、いつからか気にならなくなり、この頃は愛おしくさえ感じる。そんな時、自分自身が人と自然が共存する里山の一部となれたような気がして、とても嬉しい。私にとって、この感覚こそが里山の心地よさの素である。

現在、木工仕事の傍ら通信制の大学(京都造形芸術大学)に在籍していて、夜中や早朝にちょこちょこレポートを書いています。最短2年で卒業できるのですが、まあ、仕事に支障が出ない程度にボチボチ楽しみながら続けていこうと思います。 以下は「住んでいる地域の自慢出来ること」というテーマで書いた小論文。里山について書きました。 「里山感覚」 丘の上にある自宅のデスクからは里山の風景が広がる。よく手入れされた田んぼと杉林。その間の緩やかな斜面には蔵を備えた日本家屋がひしめくように集落を形成している。遠くかすむ先には鈴鹿山系が臨め、ここへ越した頃に植えたウメやサツキなどの小低木と合わせた近景から遠景に至る風景は一幅の山水画のようである。大阪育ちで東京の大学に通った私がここ滋賀県甲賀の里山に住むようになって14年になるが、この眺めを見るたび嬉しく誇らしい気持ちになる。一体、この里山の心地よさとは何ゆえだろうか。  ここ数年、仕事で東京などに行くと公園やカフェにやたらと足が向く。里山へ来る前、都会に住んでいる頃にはそのようなことはなかったので不思議だったが、ある時気づいた。里山にいるときは、五感を全て解放していられるのだ。ところが、その感覚のまま都会へ入っていくと受け取る情報が多すぎて、疲れてしまう。つまり、都会に住んでいた頃は感受性の回路を一部切ることで、周りとの折り合いをつけていたのだった。  里山と公園は自然に人間が手を加えることで成立しているという意味では似ている。ただ、公園で人は一方的な受け手であるのに対し、里山は住人自らが田を耕し、山の手入れをすることで維持されている。受け手であると同時に担い手でもある。実際私も小さな菜園を作り、家周りや河川の土手の草刈りをしている。野花や山菜を採りに行ったりもする。そうして暮らしの中で自然と関わるうちに五感が解放され、自分の中に里山と繋がる感受性の回路が徐々に出来上がっていったのではないか。これは公園からでは得難い感覚であるように思う。  ちょうど今の時期は水の張られた田んぼで、蛙が一斉に鳴き始める。ここに越してきたばかりの頃はうるさくて仕方なかったが、いつからか気にならなくなり、この頃は愛おしくさえ感じる。そんな時、自分自身が人と自然が共存する里山の一部となれたような気がして、とても嬉しい。私にとって、この感覚こそが里山の心地よさの素である。
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